仕事をするのは『当たり前』であるということ
生きている限り仕事はし続けるものだという考え。
確かに言葉としては正しい部分もあるとは思うのですが…
- 仕事しないなんて『おかしい』って、本当に?
- 仕事をするのが『当たり前』という時代
- 金を稼ぐのが『仕事』だという考え
- 『金があっても労働しないといけない』という思いこみ
- 『仕事=会社員』という決めつけ
- 『自分の習慣=当たり前』という思いこみ
仕事しないなんて『おかしい』って、本当に?
仕事を辞めてから少しして、少し話す機会のあった両親に仕事を辞めた事を伝えました。両親共にとても驚いていて、事あるごとに
「次の仕事は?」
「新しい仕事見つかったの?」
と聞いてきます。
今までと変わらない生活が出来ていると伝えても
「だってこれから先どうするの」
と一向に心配が収まらない様子。まぁ気持ちはわかります。
でも何て言うか、このまま投資で生活が出来る様になっても両親は納得しない気がするんですよね。別にいいけど。
仕事をするのが『当たり前』という時代
両親は積極的に資産運用をしていなかったので、収入は全て給料つまり労働の対価でした。ですので、生きて行くのに必要なお金を手に入れるには仕事をしなければならなかったのです。
だから自分の子供が仕事しないというのは、イコール死んでしまうのではないかという不安でもあるんじゃないかなと。
あと世間体。
これめっちゃ気にする人たちなので、所謂自分たちのルールの中での当たり前である仕事をしないというのは世間に顔向けできないと思っている節があります。
当人からしたら過労自殺しなかっただけマシだと思っているのですがどっちかっていうと過労死した方が世間体は良かったと思われているのかもしれません…。
金を稼ぐのが『仕事』だという考え
それから仕事の定義なのですが、自分も仕事を辞めるまでは
「給料が発生してこそ仕事」
だと思っていたので体調不良で仕事休んで読書している時の罪悪感や虚脱感は半端なかったです。
でも仕事を辞めてからは知識をつけるための勉強や交流はこの先生きる為に必要不可欠だと感じていて、
「生きる為に必要不可欠=仕事」
で良くない?と思うようになってきました。
なので直接給料が発生しない勉強や運動などにも前向きに取り組めるようになりました。
『金があっても労働しないといけない』という思いこみ
現状私の収入源は投資の運用益だけなのですが、切り詰めに切り詰めれば生きていけるだけの利益ではあるのである意味金の為に働く必要はないのですが、やはり両親からすると
「働いていない=人間のクズ、落伍者、ダメ人間」
という印象が強いらしいのでとりあえず連絡が来るたびに仕事は今探してるから~とだけ伝えてあります。
実際自分もそう感じてしまうところはありますし、仕事してた方が社会的にもいいよなとは思っています。ですので体調が戻ってきたら無理のない程度に働こうとは思っていますが、今までの様に身体を壊してまで必死になって働く事はしなくてもいいのかな・・・とぼんやり考えています。
ちなみに私の中での「働く必要がないレベル」というのは
[運用益]-[年間総支出]=が1万円でもプラスになるならOKかな!という感じです。
元本は死守しておきたい小心者なので…。
『仕事=会社員』という決めつけ
両親(特に父親)からは「早く『次の会社』を」とせっつかれました。
父にとって仕事とは会社員一択であり、会社勤めが『当然』なようです。
でも父も定年より7年早くリタイアしてるんだからそれと同じだと思ってくれてもいいもんなんですがどうなんでしょう…_(:3」∠)_
(どうやら思い出補正がかかってるようで、自身は65歳定年まで勤めあげた事になっている様です…)
『自分の習慣=当たり前』という思いこみ
両親だけでなく、自分も働いている時は両親と近い考え方があったように感じます。
決められたルールに則って決められた日まで文句を言わず働き続けなければならない。
それが当たり前、至極当然、普通、一般。
だから自分もそれをやらなければならない。当たり前だから。
そして、当たり前が出来ていない人間はクズだという考えもあった気がします。
強迫観念に駆られて仕事してたんだなって、今になって思います。
ルールに則って動いている時は考えなくていいから楽ではあります。
でも他の道もある事に気づけない程追い詰められてしまう前に、もっと周囲を見渡してみてもいいのかなと思いました。自分はかろうじてそれが出来て良かったとも思います。出来れば体調崩す前に気づきたかったけど、体調崩さなければルールから外れる必要もなかったので、この流れもまた必要だったのかなとも思いました。